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CENTRAL ASIA
中央アジア
(3)青の都、サマルカンドへ

鉄路を上から。どこかで見た風景。(タシケント→サマルカンド間)
 
タシケント→サマルカンド間 車窓から

バスで出会った学生、アミール。後ろはレギスタン広場のメドレセ群。

青い空に青いドーム。サマルカンド・ブルー。

レギスタン広場

レギスタン広場のメドレセで商うミーシャ

ウズベク人二人組。右の男はオアシスのノエル・ギャラガーを彷彿とさせる。

中央アジアのうどん、ラグマン

中央アジアの肉まん、マンティ

レストランに貼られていた、空手のカレンダー。ウズベキスタンと日本の友好イベントらしい
 
フルカットの朝食
 
フルカット屋上から見たサマルカンドの街並み

サマルカンド裏路地の旧市街。なぜかどこか懐かしい。

シヨブ・バザール
 
ナン売り ⇔ 乳母車のような車で何を売る人々
 

アフラシャブの丘

青の都、ここにあり。(シャーヒズィンダ廟)

シャーヒズィンダ廟
 
アイス、美味い。

2012年4月30日月曜日。
午前6:45起床、7時朝食、7:30出発。地下鉄チョルスー駅からサビール・ラヒモフ駅へ。天気はいい。快晴だ。サビール・ラヒモフ駅を出ると、タクシーの運ちゃんがワラワラと近寄ってきて呼び込みをする。どうやら、サマルカンドへ行く人を捕まえようとしているらしい。僕は「バスで行くからいいよ」と言って奴らを振り払う。だがバスターミナルが見当たらない。普通のバス停で待っている人々に聞いてみるが、みんな英語を解さない。しつこいタクシー斡旋屋も中に入って何やら訳が分からなくなる。とその時、英語が出来る人が登場!
「May I help you?」
僕は彼にバスターミナルはどこかを聞く。彼は道を渡ったところにあると教えてくれた。そちらへ向かって歩き始める。まだしつこいタクシー野郎を一喝して諦めさせる。
「Can you leave me alone!!?」
英語は分からなかったかもしれないが、大声を出したので、奴もやっと去っていく。バスターミナルはこれまたしばらく見つからなかったが、ようやく見つける。8時を過ぎている。チケットブースにたどり着いたのが8:20。案の定8時のサマルカンド行きのバスはもう行ってしまっていた。ここでも言葉がなかなか通じなかったが、次のバスは9時発だと言う。仕方なく9時のバスチケットを求める。12000スム。バスの発着プラットホームでバスの写真を撮っていると、警官か、警備員か分からないがダメだと言われる。バスの写真を撮るのが何でダメなのよ?とちょっと突っかかるが、すぐにやめておいた。問題になって当局に連行されてもつまらない。

バスは9時発、サマルカンド14時着。5時間もかかった。途中の風景は、ほぼ草原。牧場みたいな草地と畑。途中から岩むき出しの丘が広がる。その辺りでなぜだか分からないがバスは低速走行になる。
途中一度ガソリンスタンドで休憩。

タシケント→サマルカンド 写真集

サマルカンドのバスターミナルは、街の中心部から離れているらしい。ここからどのバスで街まで行ったらいいのか分からない。一緒のバスに乗り合わせた日本人の吉田さんと、色々聞いて回る。結局言葉が通じないのでよく分からなかったが、52番のバスが行くというのでそれに乗り込む。隣に座ったアミールという大学生が英語が出来たので、色々話をした。どうやらこれでバザールまで行けるらしい。500スム。15分ほどでシヨブ・バザール脇に到着。ここからレギスタン広場方面にアミールが案内してくれた。道すがら、色々話す。B&Bグルナーラの面々を除けば、ウズベキスタンに来て比較的まともに英語を話せる人間に始めて会った。彼は今大学で英語を勉強しているとのこと。サッカーの話で盛り上がる。こないだガンバ大阪がACLでウズベキスタンのチームに負け、こないだのW杯予選でも日本代表がウズベキスタン代表に負けたので、アミールは鼻高々。だが十分に日本をリスペクトしていて、好感が持てる若者だ。ウズベキスタンのことも色々話す。彼は、この国は治安がよく、危ないことなどないよ、と言う。レギスタン広場前で彼と別れる。メールアドレスを聞き、写真を撮る。

今日の宿を決めることにする。安宿バハディールの呼び込みのニーちゃんからカードを受け取るも、フルカットの宿のネーちゃんがかわいかったので、フルカットに泊まることにする(笑)。バス・トイレ共同で12ドル。中庭の造りがとてつもなく伝統的で見所のあるホテルだ。中庭を取り囲んで3階建ての建物に部屋が配されている。階段からなにから植物や色とりどりの織物で装飾され、賑やかなイメージだ。中庭のテーブルでチェックインを済ます。僕の部屋は3階。屋上に上がると、サマルカンド市内を見渡せる。レギスタン広場も見える。

下に降りると日本人の高橋君がやって来た。彼とサービスの茶を飲みながらしばらく話す。
レジストレーションのためパスポートを預ける。「パスポートなしで街を歩いても大丈夫か?」と聞くと、「フルカットのカードがあれば大丈夫だ」というから、外に出る。
レギスタン広場は歩いてすぐだ。意図的ではなかったが、正面からではなく裏から広場に入ったら、そのままするりと入場料払わずに入れてしまった。その後6時ごろまで、3つのメドレセを時間をかけて回る。

レギスタン広場。サマルカンドの象徴。サマルカンドは、「青の都」と呼ばれる、シルクロードの中心地として繁栄してきた街である。その歴史は古く、紀元前4世紀、アレクサンドロス大王の遠征軍が到達したときにはすでにソグド人によってサマルカンドの前身「マラカンダ」の街は発展を見せていたそうである。大王をして「話に聞いていた通りに美しい、いやそれ以上に美しい」と言わしめた。
その後アラブ人の侵攻によるイスラムかを経て、1220年、チンギスハーン率いるモンゴル軍の攻撃で、街は壊滅する。人口の4分の3が殺された。そのサマルカンドを蘇らせたのが、この国の英雄、ティムールである。彼により、サマルカンドはイスラム世界きっての都市に復興した。ティムールはモンゴル系の民族出身であり、モンゴル帝国の復興を目指し、領土拡大のための外征を繰り返した。戦争を仕掛け、征服した土地の住民を虐殺した。正体はチンギスハーンと同じなわけである。
サマルカンドはシルクロード上にある重要な交易拠点だったため、その権益を巡って過去無数の勢力がその支配権を争い、支配者は目まぐるしく変わり、歴史を追うのも大変だ。

レギスタン広場は、サマルカンド旧市街の中心にある。「レギスタン」とは「砂地」の意味。この広場は、3方を巨大なメドレセ(神学校)に囲まれ、それぞれのメドレセには手の込んだ装飾が施されている。
メドレセの威容には圧倒される。見上げると口が開いてしまう。ドームの青と空の青。コーランなどの装飾が施された表面のタイルも青い。ティラカリ・メドレセでは、青いドームの下に礼拝所があり、その内装は、膨大な金で装飾されている。「ティラカリ」は「金箔された」という意味で、その名の通り、礼拝所は内側から金色に輝いている。

昔は教室だった各メドレセの部屋は、今は土産物屋となっている。年配のおばさんが「見るだけ」と日本語で僕を呼ぶ。部屋に入ると、ウズベキスタンの土産が所狭しと陳列されている。シェルドル・メドレセでは、ミーシャという長身の白人男が、英語で話しかけてきて、僕を彼の店に招き入れる。非常に柔らかな物腰、ささやくような口調だ。怪しさ全開、かと思ったらそうでもなかった。土産を一つ一つ解説してくれる。石造りの動物や人間、起き上がりこぼし、物入れ、本置き(例のくるみの木製)、操り人形、チェス、刀、など。色々な怪しいものが目白押しだ。その後、王様の衣装を着せられ、帽子をかぶせられ、挙句はヒゲまでつけられて、記念撮影をさせられる。全く調子に乗りやがって。だけどまぁ、楽しくなくはないか。ミーシャは3つ目の最奥の部屋で、お茶を振舞ってくれた。待てよ、これはどこかであった光景だ。怪しいお土産部屋に連れて行かれ、チャイやチャーを振舞われる・・・。カイロでもあったし、ダマスカスでもあった。これが中東のホスピタリティーだ。
ミーシャはいい奴だった。たいてい、このパターンだと、後半に「じゃぁそろそろ買え」とばかりに売り攻勢を仕掛けてくることが多いが、そんなの全くなし。逆にこっちが気を使って、石の人形を「これいくら?」と聞いたりした。
結局何も買わずに穴蔵のような彼の土産物屋を出る。外で、ミーシャと彼の友達(店の共同オーナー?)としばらく話す。
「俺は福島から来た」
と言うと、ミーシャの友達は、TVで見た日本の感動的ニュースのことを僕に話し始めた。
「テレビで見たんだ。原発の近くで人間が去った街で、二匹の犬が取り残されて、一匹の方が弱っているのを、もう一匹が献身的に世話してる、ってニュース。これを見て、僕の妻は泣いたよ。」
「そんな話は知らないな。とにかく悲しい話ばかりだよ」

こうしてレギスタン広場の3つのメドレセを見倒し、広場正面のベンチで休憩していると、若者が話しかけてきた。
「英語を話したいんですけど、いいですか?」
「いいよ」
奴はウズベキスタン人の高校生で、どうやら英語を勉強したいらしく、こうして観光客に話しかけて実地で練習しているのだと言う。僕みたいな東アジア人を狙っているのだろう。なぜなら、本場ネイティブの欧米人だと、レベルが違いすぎて会話が成立しないかもしれないからだ。僕程度の第2外国語の人間がちょうどいい、という魂胆だ。その気持ち、よく分かる。
奴の英語レベルはひどいものだったが、その心意気を買って20分くらい話し込んだ。以下奴に聞いた話。
ウズベキスタンは、ウズベク人90%、その他10%。彼の名前はBOBUR(ボブール)、歴史上の人物に同じ名前の偉人がいるそうだ。ウズベキスタンの高校では、外国語として英語とロシア語を習うこと。僕からは、日本の産業について熱く語ってやった。自動車や家電メーカが有名だ。技術の日本。ウズベキスタンの産業は?と聞くと奴はあまり満足に答えられなかった。話も収束し、またまた奴のメールアドレスを聞き、写真を撮る。写真を送ることを約束し、僕のホームページのアドレスまで教えてやった(笑)。日本語で読めないだろうけど。

ふと前を見ると、高橋君が前の方のベンチで同じように話し込んでいるではないか。僕との決定的な違いは、彼は二人もの女の子と話していることだ。ガーン!奴は女で僕は男か。途方もない不公平感を感じながら、僕は楽しそうに話す彼らを呆然と見つめていた。
しばらくして高橋君も話を終え、僕に気づいた。聞けば彼女らは19歳。僕も女の子の方が良かった。

高橋君と夕飯を食いに行くことにする。僕は旅先で日本人と意気投合して食事に行くことは少ないけれど、高橋君の人当たりの良さは「まぁ、行くか」という気にさせる。『歩き方』に載っているレギスタンというウズベク伝統料理を出すというレストランを探すが、見つからないので、レギスタン通り沿いにある大衆的レストランに入る。通りを見下ろす2階の席に陣取る。ビール、ラグマン(中央アジアのうどん)、マンティ(中央アジアの肉まん)、シシカバブ、サラダを頼む。なかなかいける。すると、バスで一緒だった吉田さんも同じレストランに現れ、僕らに合流。3人で今回の旅のことや自分のことを交互にしゃべる。なかなか楽しい。後ろで二人で食べていたウズベク人と写真を撮る。一人は眉毛がつながっていて、僕に言わせれば典型的ウズベク人の顔立ちだ。ウズベキスタンのノエル・ギャラガーとでも言おうか。

高橋君は、20代中盤だが、バックパッカーの日本人若者にありがちなギラギラした攻撃性がなく、緩い感じがいい。財布の紐に固執せず、ま、この程度の値段なら払ってもいいか、という性質らしい。時には湯水のように払ってしまうようだ。僕は「君みたいな奴がいるから、日本人ボッタクリ事件が後を絶たないのだ。味を占めさせてどうする」と注意したけれど、彼は意に介す様子はない。見知らぬ国に来て警戒心で硬直している人とは対極の、肩肘張らないこの緩さが彼のいいところだ。いちいち毎回根気のいる値段交渉を、時には妥協する姿勢は、彼なりの思想なのかもしれない。
この緩さというか、人当たりの良さが、ウズベキスタンの若い女子を惹きつけたのか?

吉田さんは、僕は初め日本人だと思わなかったほど日本人離れした顔立ちで、そう、アジア系の顔だ。だが国は特定できない。長髪が特徴だ。あまり旅の経験はないようだが、あの風貌ならどこでも溶け込んでいけるだろう(笑)。

僕が旅先、特に開発途上国で日本人と知り合って一番ムカつくのは、そいつが地元人に対して常に上から目線で横柄な態度を取るときだ。「お前のどこがこちらの人たちより優れているのよ?」と聞きたくなる。そういう奴らが日本の恥をさらしている。そしてそういう奴らに限って日本のことを知らない。この二人にはそんな風情がない。謙虚で礼儀正しいという日本人の美徳を備えている(ように見える(笑))。

楽しい時間は過ぎ、9時過ぎまでしゃべり続ける。2時間以上もいた。店を出る際、レストランの店員が、壁に貼ってあるポスターを解説する。
「ほら、これはウズベキスタンと日本の空手交流を記念したポスターだ」とでも言っただろう。なるほど、ウズベキスタンの有名空手家がバーンと映ったカレンダーだ。日本とウズベキスタンの国旗が描かれている。
「君たちは空手をやるか?」と聞くから、みんな「NO」と答える。確かに、この日本人3人組は空手をやっているようには見えない(笑)。

店を出て、3人でメールアドレスを交換する。吉田さんのホテルはアミール・ティムール廟近くとのこと。彼と別れ、僕は高橋君とホテルに向かって歩き始める。高橋君と吉田さんは、明日紙鋤き工房に行くという。751年、イスラム勢力と中国の唐がタラス河畔(タラスは現在のキルギス領)で戦った際に、中国の紙すき職人がイスラムに捕らえられ、中国で発明された紙の製法が始めて西方に伝わった。ここサマルカンドに757年紙すき工場が建てられた。そう、サマルカンドは、中国以外で初めて紙が製造された場所なのだ。以降、8〜9世紀のサマルカンドは中近東一の紙の生産地で、ここからイラク、エジプト、ヨーロッパへと製紙法が伝わっていった。その道は、シルクロードに対抗してか、ペーパーロードと呼ばれる。今でもサマルカンドには「サマルカンドペーパー」という独特の紙を作る紙鋤き工房があり、観光客が見学できる観光スポットとなっている。

レギスタン広場では、メドレセがライトアップされ、妙な朗読とおどろおどろしい音楽が流れている。何か歴史物語のようなショーなのだと思われる。このショーに見入る観客は多くない。ちょっと見て言葉が分からなくて面白くないので、宿に戻る。
11時就寝。

5月1日火曜日。
朝8時半起床。朝食。中庭に降りて食べる。パンにゆで卵にチーズにナッツなどが並んでいる。それに揚げたナンのような総菜パン。

朝食後再び横になり、10時に顔を洗って外に出る。サマルカンドは快晴。フルカットの周りの旧市街の路地をしばらく歩く。目抜き通りのタシケント通りを北上していると、秘密の抜け道を見つけた。そこを入ると別世界。タシケント通り沿いだけがこぎれいで近代的かつ真新しい店やレストラン、学校や病院が立ち並んでいるが、そこから一歩裏側に入れば、そこには狭くて古い路地と家が奥まで続いている。わずか一列だけが新しく、その次の列から先は古い街。何という表面取り繕いの都市計画だろうか。ま、そんな大げさなものではないか。観光客が目の当たりにするタシケント通りだけを新しく造るのも、まぁ分からなくはない。

ビビハニム・モスクとビビハニム廟を見て、シヨブ・バザールへ。もう12時を過ぎている。腹が減ったのでプロフを求めてバザール内で食堂を探すが、どこにもない。たいてい、バザールには食堂がどこかにあるのだが、ここではどこにも見つからない。ヘトヘトになって店が並ぶ一画にようやく食堂を見つけるが、プロフはない、とのこと。しかしそこにいたおじさんが、近くにプロフを食える場所があるからと案内してくれた。いい人だ。彼はあるところまで案内してくれた後、「この階段を下りて左に曲がったところだ」と僕に告げて去っていった。ありがとう、すぐに見つかったよ。外にテーブルを並べた簡易食堂があった。大鍋いくつかでプロフやスープを炊いている。しかし昼時で満席。店のニーちゃんが、おばさんが一人で食べているテーブルに相席で席を作ってくれた。プロフとショールヴァ(野菜スープ)を頼む。もっとも、ここのメニューはそれしかなさそうだ。大鍋でプロフとショールヴァを作っている。

相席のオバちゃんが食べていたのがまさにショールヴァ。オバちゃんに聞いてみて確認した。で彼女は、ナンをちぎって浸して食べていた。これが通の食べ方か(笑)。オバちゃんはプロフを食べる僕に、彼女のナンを勧めてくれた。これまたいい人だ。

プロフはすぐ来たが、ショールヴァはなくなって仕込中なのか、なかなか来なかった。オバちゃんとニーちゃんに「ショールヴァは?」と聞いたが、準備中のようだ。大鍋はもう煮立っているように見えるのだけれど。大鍋の脇に小さな器にそれぞれ具(ジャガイモや肉塊)が盛り付けてあった。要はあとはスープを注ぐのみ、という感じだがまだなのだろうか?

プロフを食い終わり、ショールヴァは来そうにないので、席を立つ。ショールヴァを楽しみにしていたのだけれど、ま、仕方ない。明日また来よう。
店のおじさんが、「ショールヴァはいらないのか?」と聞くから、
「もう時間切れだ」と日本語で答え、600スム払って食堂を後にする。近くのジューススタンドみたいなところでPall Mallの普通サイズのタバコを買う。若者二人がやっていて、タバコの値段を聞くと、一人は3000スム、もう一人は2000スムというではないか。騙しやがって。当然2000スムで買う。もうすでにかなり疲れたが老体に鞭打ってアフラシャブの丘へ。遠回りの道で坂道を上る。暑い。今日は日差しが強い。モスクの横でおじさんが声をかけてくる。「シャーヒズィンダ廟群へは墓地を通って、アフラシャブの丘へはこの道を真っ直ぐ行け」と教えてくれる。さらに僕がアフラシャブの丘へ行こうとしていることを知ると、「アフラシャブの丘には何もないぞ。ただ丘があるだけだ」と身振りで言う。「行ってもしゃーない」と主張しているようだ。それは僕が決めることだ。

アフラシャブの丘は、丘の墓地を抜けた先にあった。開けた草原に、緩やかな起伏が続く。ところどころに花が咲いている。穏やかな風景だ。またもや『千と千尋の神隠し』の冒頭の、誰もいない晴れた丘の風景を思い出す。空は雲ひとつない。墓地で働いているのか、水を汲んでいるおじさんを見たっきり、人は誰もいない。
確かに何もない。だがここが昔のサマルカンドの中心街だったことを必死に想像する。諸行無常。建物など何も残っていない。この方が想像力を試される。だが丘の起伏のおかげで、ここに街が広がっていたことが想像しづらい。だが、ここに昔のサマルカンドの街はあった。チンギス・ハーンにより壊滅させられたのだ。

丘からサマルカンドの街の一画が展望できる。その先には、雪をかぶった山々が連なる。

来た道を戻る。墓地を抜け、再び舗装通りへ。この反対側もまた墓地だ。ここからシャーヒズィンダ廟へ。墓地の裏側から入る。するとこれまた入場料を払わずに入れてしまった。何という脇の甘さよ、サマルカンド。だがこんな不正なことをしていいのか?良心の呵責にさいなまれるが、あえて正面入り口で金を払うことはない(笑)。
このシャーヒズィンダ廟もものすごい。こここそが、サマルカンドの「青」を実感できる場所だ。この廟群の青タイルが、今まで見た中で一番青い。青タイルには精緻な装飾が施されている。通路の両脇にそそり立つ青い廟群。青い回廊だ。
人が多い。天国の階段は35段。

今日も歩き疲れた。むしょうに甘いものが食べたい。廟群の裏の小さな公園際にある小さな駄菓子屋でアイスを買おうと、アイスボックスの中を覗き込む。どれにしようか迷っていると、店のニーちゃんが「これが美味いよ」と勧めてくれたのでそれに決める。800スム。美味い。近くの芝生に座って食べる。すぐ横に4人組のおじさんたちが談笑している。彼らは、いきなり腰を下ろしてアイスを喰らい始めたアジア人の僕を興味深く眺める。おじさんの一人が、「コリア?(韓国人か?)」と聞いてきた。僕は「日本人だ」と答える。

今日は歩き疲れた。裏道を通ってビビハニム廟の裏手に出る。ホテルに戻ったのは午後5時。疲れていたもののさらに路地を奥に歩いてみる。旧市街では子供達が遊んでいた。道の真ん中にドブがある。面白い。ようやくホテルに戻り、中庭チャイで休憩。飯を食いに外に出るが、サマルカンドにはロクな食堂がない。そして痛いのは、夜はご飯ものがなくなりがちなことだ。プロフは、基本昼に食べるものだと聞いた。ウズベキスタン人は夜は米を食わないのだろうか。これは米こそ主食、日本人の僕には困った状態だ。食堂に入って何が食えるかを聞くが、なかなか米がない。結局昨日高橋君と吉田さんと食べたレストランにする。マンティが品切れだというから、結局ウズベキスープ(と給仕のオバちゃんが言っていた)、トマトサラダ、シシカバブ(牛)を頼む。スープは『歩き方』の写真を指差して、ショールヴァを頼んだつもりだったのに、全然違うものが来た。ただのコンソメスープみたいなものだ。具が全く入っていない。頭にくる。オバちゃんは写真をちゃんと理解していなかったのだろうか?だが、ここで僕が満を持して登場させたのがナン。そう、昨日日本人墓地まで案内してくれたオバちゃんがくれたサマルカンドナンだ。これをスープに浸して食べる。美味い。一日たっているが、スープに浸して食べる分には問題ない。だがいかんせんナンは一人で食べるにはでかすぎる。4分の3を食べ切って、残りは再び袋に入れて持って帰ることにする。
今日は15000スムもした。シシカバブが高かったか。だが全体的にこのレストランは高い。大衆食堂がないものか。こんな観光客目当てのレストランでは美味しいものが安く食べられない。

8時過ぎにホテルに戻る。屋上に上ってサマルカンドの夜を見下ろす。8時半頃から、レギスタン広場で昨晩に続いて「音と光のショー」が始まる。おどろおどろしいナレーションと劇的な音楽。一体何が語られているのだろうか。今日もきっと観客は少ないだろう。
10時半には寝た。

<追記>
■車と歩行者
タシケントやサマルカンドでは、横断歩道では車が停まってくれる。すごい!普通、日本以外の国のほとんどで、道は車優先。
■祈り
ウズベキスタン人の祈りの作法は独特だ。顔を洗うように両手をおわん状に合わせ、合図とともにまさに顔を洗うように合わせた手を顔の前で上から下に滑らせる。面白い。初めて見た。イスラムはイスラムであろうが、独特の所作だ。
■アプリコット
ウズベキスタンの名産、アプリコット。パンの中に入っているし、アプリコットジャムはタシケントのB&Bグルナーラで毎日朝食に出た。アプリコットジュースは濃いオレンジ色。フルカットでサービスで飲ませてくれたが、薄かった。

(続く)
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(中央アジア旅行記 −3−

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